合理的な日本人の葛藤

最近の若者は、どちらかといえば

合理的に事を進める方々がほとんどなのかもしれません。

 

日本人の特徴として、型にハマる傾向が強い部分がある・・・

それも今は昔で、欧米の文化に慣れ親しんだ日本人は、

あまり変に拘ることなく合理的に適応するのだと思われます。

 

その弊害として、

完璧を求められる。はじめから終わりまで、

その息苦しさに対し、慣れ親しんだとはいえ、

元々は日本人である・・・

 

どこかで矛盾を生み、

今までにない葛藤を繰り返しているのかもしれません。

 

自由なようで不自由・・・

それが、最近の若者なのかもしれません。

 

確かに、ある程度の秩序がなければ、

自由も成立せずに、不自由にもなる。

 

しかし、その秩序を見つけられない、

或いは受け入れられない何らかの心理状態が、

民族的な、いわばアイデンティティーとのズレ、

理解や理由がなくとも、そのズレを

DNAレベルで感じているのかもしれません。

 

数年前、イギリスやイスラエルでオステオパシーをきっかけに

それぞれの文化に触れる機会があり、

 

日本との比較、特に考え方に良くも悪くも

触発された部分がありました。

 

それはそれで、視野が広がったようにも思います。

でもそれ以上に逆に日本人としての意識が強くなったように思います。

 

自分自身を知るには、比較対象があった方が分かりやすい

 

独りよがりに陥ることを避けたいならば、なおさら

 

他者との比較というよりは、

関係性の中の自分を見る必要性があると思われます。

 

つまり、他者の中の自分を見て自分自身を学ぶのです。

 

自由な不自由・・・ほんと盲目色が濃いのが、

 

現代社会であり、そしてその中を生きる現代人なんだと考えます。

 

思っている以上に心身の問題は深く大きい部分にまで

波及しているのだと考えます。