カラダの正確性に対する生活習慣性(病)

自身のアトピー体験より、

 

経験からの教訓や学びが、

ある水準で良い習慣へと昇華致しますと、

 

ある程度の病魔の接近を予測し、

回避、或いは最小限に留める術を心得るのです。

 

しかし、はじめは敏感なその感覚も

症状が慢性化、または持病として扱われますと、

鈍感となり、堕落とまでは言いませんが、

 

今までの感が鈍り?接近に気付きながらも

容易に近づけてしまう・・・という具合です。

 

人間は良いも悪いも慣れることに溺れる。

 

そこからの脱却が、

カラダで言えば、治癒と言えるのかもしれません。

 

非日常を日常へと取り込む、

それは人間の優れた能力とはいえ、

 

よけいなものまで取り込んで、

そして、なかなか手放せないのも

優劣に関係なく、それも人間の特徴なのであります・・・

 

自身のアレルギーの事を言えば、

さつまいもやカボチャを食べますと不調になります。

特に天ぷらやサラダ?などのように手を加えますと更にです。

 

そんなわけで、食べることをいつも回避します。

 

でも、ときに勢いで食べてしまうことがあります。

 

それは堕落なのか、傲慢なのか分かりませんが、

分かっているのに・・・です。

 

それなのに大丈夫だと勘違い?それこそ慣れからの

イージーな油断?となり、そして案の定、不調となるのです。

 

学習能力も時間と共に低下するのでしょうか・・・

だからと、このアレルギーを克服しようとは思わないのです。

 

何故なら、敏感を保つ為、或いは戒めの為か、

 

どちらにしても忘れないように、思い出すように、

 

そのように仕組んでいます・・・と、

克服に取り組みたくないただの言い訳をするのですw(人間ですからw)

 

ただし、カラダは公平に?凝視するかのように

容赦なく、症状というサインを送ってきます・・・

 

カラダのジャッチに間違いはあまりありません。

間違えるとしたら、人間の方なのでしょう・・・と思われます。


そして、治らないと勝手に諦めるのも人間の方が早いようです・・・

カラダは常に正常を求めているとしてもです。


いつまでも鈍感なままでは、なかなか治らないことでしょう。


良い意味での刺激が、習慣化された日常生活には必要かもしれませんね。