クラシカルオステオパシー

一見、同じようでいて、

そのほとんどが違う・・・


イスラエルのクラシカルオステオオパシーの先生は、

オステオパシーをよくバイオリンにたとえていた。


一見、バイオリンを奏でる姿は同じでも、

鳴っている音は、それぞれ違う。


名人と素人とでは、奏でる姿、曲名は同じでも

聴こえている音には、明らかな違いがあるということでしょう。


また、治療において同じような動作、姿であっても

手の下で起こっている解剖学、生理学的作用は同じ事はなく、

再現性なき成果、アートのように、カラダの変化は毎回違う。


それは、患者さんに生命があるという前提により成立している。


あたりまえのようで、理解が難しいことである。


クラシカルオステオパシーでは、古典的な方法を使い

カラダを調整していく、その動作もとても単純なようで、

ちゃんと行えば、細胞にまで効果が波及する。


そもそも、細胞にまで効果がなければ、

オステオパシーとして成立しない。


ミクロな細胞からマクロなユニットとしての全身の統合まで、

まるで楽器を調律し、素晴らしいハーモニーとするように・・・


生命力が奏でる共鳴ということでしょうか・・・


今現在の自分が、振り返りようやく

クラシカルオステオパシーは素晴らしい技術と、


理解出来る。


当時の自分には、理解しきれなかった事が、

あるいは発見が、今の自分には見えるという意味で、


成長しているのだと納得する・・・


現在、クラシカルオステオパシーは使っていませんが、

伝統的なテクニックには、多くのヒントが隠されていると、思われる。


イギリスはじめ、ヨーロッパ文化の良い所は、

ちゃんと、古典的、伝統的なものを保存しているという事、


それも、人ひとり、ひとり、

それこそ細胞一個、一個にまで。