無想の幅

ひとつの根拠(技術)で治療をするということは、

それは即ち、そこに矛盾が生じた場合、対処出来ない、

つまり、技術は無力化することになる。


その技術の良い悪いではなく、

カラダには複数の法則が、それこそ根拠がある限り、

ひとつの知恵で全てに対すること自体が、

無防備という意味で無謀であると考える。


だからと、資格コレクターのように、

技術の数だけ誇っても、それらの技術をコントロールし、

状況に対応することが出来なければ、ほんと、役立たずである。


肝腎なことは、様々な状況を想定しての準備であり、

予想外の状況にも対応する・・・

対応力の為の技術を磨くことであると考える。


使えない技術をいくら磨いても、豚に真珠?馬に念仏?である。


予知とまではいかないが、

あらゆる可能性を広げるという意味での予測は大切であり、

治療の前にすでに治療は、はじまっており、

もしかしたら、結果まで予測出来ているのかもしれない・・・

という意味で、治療の前に治療は終わっているとも言える。


その中で、対応力が求められる場面は、

もちろん予測外の状況であるが、そのほとんどは直感による。


その直感に従い無意識に出てくる技術こそ、

自力の高さという意味での、真の技術と思われる。


その技術は、日々、コツコツと状況を想定された技術外である。

では、どこで学ぶのか?・・・


そこが、とても重要な所である。


同じテクニックでも、実は同じではない・・・


そう、同じ時間とお金を使うのならば、


一流の先生に教わりなさい。ということです。


違いは、自分のキャパの幅・・・ということだろう。


それは、一流の先生のキャパを直接体感する為、

自覚なくとも、自身のキャパも広がっていると思われる。


その価値を、どのように受け止めるかは自由ではあるが、


まずは、本物を体験しなさい。ということであり、

今までを偽物にしてしまうほどの価値が本物にはある。ということです。


来年も、グリーンハウスにお世話になりたいと思います。

よろしくお願い致します。