学びのススメ

何かを学ぶとき、

少なからずある特定の価値感に

偏らなければならないと考える。

 

何故なら、その一時的にも偏った価値感の中で、

さらに優劣や組み合わせによってその価値を高めていく、

つまり追究していく探求心が生まれる。

 

特定の価値感に偏るということは、

一時的でも、さらに良い価値感への探求であり、

その高められた価値より、はじめて多様化すると言う意味で、

ある程度、高めた価値より離れることができ、

また別の価値感に触れていく可能性の機会を与えられる・・・

 

そう考えると、ある程度、納得の出来る価値でなければ、

単純に、やる気が起こらないということである。

 

やる気があるから学ぶのだろうか?

 

どちらかと言えば、その価値に魅力を感じるからこそと思う。

探求心が生まれる程の価値があり、ようやくやる気に駆られるのだ。

 

つまりは、簡単に言えばやる気が起こりもしないようなものに、

学ぶ価値があるのか?ということであり、

やる気と、価値感は、義務的に流されるばかりの現代社会では、

前後逆になっているのかもしれない。

 

あるいは価値を見つけ出すまでの、その持続に

ほとんど、やる気は奪われてしまっている現状なのかもしれない・・・

 

けっきょくは、価値感の基準の構築に、

構築の仕方に、持続力は左右されていると思われる。

 

その基礎があって、ようやく価値を見つけ、高め、

探求し、責任感、使命感などのさらに上へと

自分を押し上げ、そして、やる気を養うサイクル形成へと進むと思われる。

 

やる気は、そのまま生き甲斐にもなる・・・

価値の薄いものばかりに使っていたのでは、

そのうち、あっけなく無くなってしまうということになるだろう。

 

やる気が起こる価値あるものに

触発される日々ならば、とても幸福だと思う。

 

しかし、価値を高める探求心は同時に孤独への道でもある。

やる気に駆られれば、駆られる程、孤独と向き合う時間が多くなる・・・

 

そして不思議なことに、その孤独にやる気は奪われるのである。

 

よって、孤独ではありながらも、他者との比較、交流は、

やる気を駆り立てる為には欠かせぬ関係性ということであります。

 

つまり、高めた価値を分かち合える存在が必要となる。

そのような縁に恵まれる方は、同じくとても幸福だと思う。

 

高めた価値を孤独に終わらせない為にも・・・

一定の孤独を共感し合えるコミュニティの形成も

 

学びには同時に必要である。