擬態

実態とは別に、長らく続いた表向きの現代医療の発展や、

実用性とは別に、進歩し続けているとする、

必要以上に成功のニオイを漂わせる科学への信仰心の為か、

 

人々は、健全な未来への発想を欠如しているのかもしれない。

 

急速に変化しているように見えて、実際には進まないことばかりである・・・

が、人々の印象としては、現代医療や科学は替わらず進歩の上位対象のようだ。

 

結果としての過去の実績は確かにある。

 

しかし、現状が必要以上に飛躍しているわけではない。

過去の実績が、必ずしもそのまま未来へ向けて

同等の前進として約束されているわけでもない。

 

前進は、時間の経過、そして結果と共にその実態を正確に現すのみである。

 

このように保障など無い不確実な未来に向かって、

人々は、言ってしまえば掴むことの出来ない透明な空気を

確かな物として、安心を謳い、何かを演じている。

いや、演じるしかないようだ・・・

 

もしかしたら、本音は実態などどうでもよくて、

演じ続けること自体に、

すでに酔い、心地良ささえ感じているのかもしれません。

 

実態と人々との間の距離が、

あまりにも開き過ぎた・・・そのように伺える。

 

踊ることも、踊らされることも、

そして、踊りを辞めることも、

 

もはや人々にとっては等しい不安の種でしかなく、

どちらにしても、どのような状況でも、

それなりのパフォーマンスを披露して、

踊り続けるしかないようです・・・

 

今現在、自分自身が掴んでいるもの(前提あるいは根拠)は、

簡単に手の平からこぼれ落ちる砂のように

ほんとうは、その程度の事なのかもしれません・・・


いつの間にか擬態が実態へとなり替わった。


そう、どこか諦めて、

その一方で、まだ信じてみたいと思う自分も居る。