沈黙

自身に塞ぎ込むことはまだしも、

他人をも塞ぐという特徴は、

日本人本来の性質だとしたら、残念なのですが、


福沢諭吉も、学問のススメで、

日本人の本質には、嫉妬心があり、

言語、言路を少なくし塞ぐとしたら、その本質だろうと、

要約するとそのような主旨で、

日本人について触れているようです・・・


つまりは、見て見ぬフリ、または無関心、

あるいは私欲の混同・・・日本人に限らず、

人間である以上仕方のない本質とも言えますが、


現代では、特に極端にその姿が現れているように思える。


それは、社会構造の変化によってなのでしょうが、

そのような今現在の状況が、そう仕向けているとも言えます。


触らぬ神に祟り無し、といえば大袈裟ですが、

他人に関与、干渉しないことが、マナー、エチケットにまで、

いつの間にか昇華されたかのような錯覚を反射的に行っているのです。


ヒューマニズムを語るつもりは、まったく無いのですが、

治療者側の立場から言えることは、他人の不調をそのままにせず、

ちゃんと説得し治療に向かわせることこそが、

本来のマナー、エチケットだと言えるのです。


自分の行いの本質が善か偽善かどうかを審議する・・・

その塞がれた沈黙の時間は、他人の不調をただ進行させるだけである。

(この際の沈黙とは熟慮ではなく、いわゆる思考停止)


そう、回復の妨げである。


それは自身にも言えることで、

自分自身への沈黙は同じく、自分自身の治療の妨げでしかないのです。


どちらにしても、説得し回復に向かわせることが、

治療者側から言わせると、なによりの優先になるのです。


他人との関係性とは、まったく無縁の所で傍観しているようでいて、

実は、その沈黙は時間に限って言えば、

他人の貴重な治療時間を奪っているということになるのです。


自分に塞ぎ込み、他人をも塞ぐ、その沈黙の審議の時間は、

自分自身の私欲に、それこそ無縁の所で自分、他人の時間を奪う・・・


沈黙は金なり・・・確かにそう、

しかし、一方で治療は早ければ早い程に輝く事実もある。