認識

事実として、より確かな方を選ぶ、認識する、

それは、そのような心理なのでしょうか、感情なのでしょうか、

それとも、それが異常さえも正当化してしまう

システムの適応能力、ホメオスターシスなのでしょうか・・・


どちらにしても、何か変化を起こす為には、

何かを捨てなければ、得られないと考える。


それは個人個人、違う理由ではあるだろうが、

病気である事を望んでいるとまでは言いませんが、

少なくとも、より確かな事実として強く認識されると言う意味で、

結果的に病気を選んでいる・・・そのような心理、感情も


心理的な表裏一体として、同時に左右上下、何処とは言いませんが、

治りたいと思う一方、治りたくないという裏側として、

どうやら存在しているようなのです。


治療において、この場合、捨てなければならないものは、

病気自体であり、治りたくないという心理作用と言えます。


たとえば、その心理は過去の精神的トラウマによって、

あるいは、生活環境、空間のストレス汚染の影響、

または、肉体的アンバランスの結果、作り出されているのかもしれません。


個々により状況、条件が違う以上、

ひとつ、ひとつ、反応を調べ確認し

治療する以外ないということです。


それらを、ひとつ、ひとつ丁寧に解除して、

肉体、精神、エネルギー、3つの心身バランスを整える・・・


それが、治療の全貌であり、

あとの細かい手段(技術)については別次元の話という意味で、

知る必要はないと考える。


患者さんは、治療する意味を理解し受け入れること、

術者は、患者さんの心身の状態を少しでも理解して、

同じく受け入れること・・・


そして、「治りたい」という答えに

少しでも患者さんが近づけるように尽力すること。


そのようにお互い強く認識することが、良い結果へと繋げると思います。


治療を受ける前は、病気が確かな事実として認識されている。

治る可能性よりも強い認識として・・・


治療で大切なことは、その前提を覆し、

治る可能性をより確かな事実として認識させることと、考える。