絶望の処方箋

なにも、このブログを利用して

世間を批判したいだけではないのです。

(あきらかに批判はしているがw)

 

言葉の裏返しと思って貰えたら幸いなのです。

つまり希望を共有する為には、まずは絶望を共有しなければ、

ならないと言うか、始まらないのです。

 

どれだけ深刻であるかという現状の自覚なのです。

そういう意味で、絶望を知ることは、

何よりの処方箋なのではないでしょうか・・・

 

「どうせ治らない」と思いながら何年も、

電気かけて、マッサージして・・・なんて、

絶望でしかないと思うのですが・・・

 

どう、がんばっても希望を見つけられないという意味でも絶望です。

 

同じことを、あと何年続ければ希望に変わるのでしょうか?

 

この世の仕組みは矛盾だらけです。

これで正解というモデルに当て嵌めることは無可能であるし、

当て嵌めようとすれば、さらなる矛盾に悩まなければなりません。

 

そうだとしたら、

未完のシステムの方が可能性としては、

今までよりも絶望的にならないだけマシと言う意味で、希望なのです。

 

少しでも多様的に対応出来るように

準備していく、つまり勉強し技術の幅を広げることが必要なのです。

 

しかも同じことの繰り返しではなく、

明らかに違う物になっているという意味で、

総合性あるものでなくてはならない。

 

単なる寄せ集めでは、ただの集まりであり、

新しく生まれ出たものではなく、少なくとも総合ではない。

 

集めたものから、

今までとは明らかに違う

新たな可能性あるものを生むことが、総合と考える。

 

絶望を知ることで希望が生まれるのならば、

絶望の共有こそ不可欠です。

 

絶望しているからこそ、希望も自覚・認識することが出来ると考える。

 

術者の感覚としては、

もうこの世に処方箋など無い・無駄と

思うくらい現状に絶望しているし、深刻にも思っている。

 

だからこそ、学び続けるのです。