自己判断

現代社会において、今現在において、

恐ろしいことは、無知ではなく、誤った情報だろうか・・・

 

新聞、メディアから発する情報は、

1週間もすれば二転三転する。

酷ければ3日も持たないのが現状である。

 

そのような情報に踊らされる現代人の姿が、

何も知らない赤ちゃんよりも、深刻であると言ってみたい。

 

そういう意味で、人々の納得する基準が低く過ぎて、

つまりは総合的な理解にまでは至らないということだろう。

 

この際の総合的とは、多面的であり、状況による変化

つまり、日常生活におけるあらゆる実践の総合となる。

 

その実践の総合的判断に行き着くまでに、

自分ではない誰かの判断により浅い領域の部分で

安易な納得に至っているということでしょう。

 

たとえば、サプリメント。

「健康に良い」と謳っているが、

健康とは何か?健康に良いとはどういうことなのか?

サプリメントで肝臓に負担が加わることは、

健康に良いことなのだろうか?

 

現代に限って言えば、よほど特殊な状況ではない限り

日常生活の食事からの栄養摂取において、

摂り過ぎはあっても不足はないと個人的には思っているし、

よほど特殊な状況でもなければ、サプリメントは必要ないと考える。

 

それよりも食事や水のバランス、質をコントロールするべきと思う。

 

よけいなものが多すぎて、

もはや良し悪しではないのだ、

必要のないものばかりが溢れ、

それが便利なんだと錯覚しているのだと考える。

 

ほとんどが必要のないものとすると、

ほんと、面白いくらいほとんどが必要ない。

 

では、本当に必要なものは何だろうか?

自分の深い部分の領域においての判断であり、

そして納得することでしょう。

 

それは、世間に流れる曖昧な情報でも、科学でもなく、

自身の生活の実践において必要と判断されたものであり、

少なくとも有機的な日常の生、

さらには人生に繋がるものだろうと思われる。