なにより謙虚でなければ、

生まれるものも生まれない。


選択していると同時に選択されている。

縁やチャンスは、そういうものと思う。


謙虚さは、もちろん理不尽に屈することや、

何でも受け入れる姿勢という事ではない。


お互いが選び、選ばれている以上、

たとえ、その割合が違っていたとしても

お互い様であるということだろう。


すべてが自分の思い通り、ということには行かない。


強行しようとするその力学は、なんらかの形で

自身の力学にも均衡の歪みを残すことだろう。


何故なら、選び、選ばれている

その選択肢という支点は、お互いの真中にあるのだから、

テコの原理は、必ず左右それぞれの力量で作用する。


均等ではないにしても、

お互いに影響していると言う意味で、

お互い様なのだ。


それぞれの力量で、支点を保つ必要性がある限り、

持続した作用で均衡を安定させることが、

謙虚さなのかもしれない。


たとえば現実の医療では、

患者は選ばれ、治療は

それぞれの力量分でしか作用しない・・・


そういう意味では平等という

概念は当て嵌まらない

また、当て嵌めることは医療という構造の中の

力学では限りなく不可能と言える。


治療も縁やチャンス、選び、選ばれたのなら、

それぞれの力量より生まれた熱によって、

それなりの生理作用を起こすことだろう。


単純化して言えば、ただそれだけということ。


自分自身、医療、治療は平等ではなく縁であるに同感です。

縁ある方々としか、その熱量を分け合えることが出来ないと考える。


誰もに与えられるものではないと・・・そう思っている。