知性、精神の構造

そのような気がする・・・

 

気がするのではなく、自覚として事実を認識することが、

素直に受け入れる習慣が、必要であると考える。

 

未来への予測という心理は、期待や不安に

左右される信念の現れでもある。

 

しかし、未来は予測不能であり、

予測可能だとする強気な心理は、いわば擬似の錯覚であり、

実態の密度が薄いにも関わらず架空の幅を広げ続ける

現代社会、生活における現象の副作用、あるいは汚染とも言える。

 

汚染による浸食はカラダの歪みばかりか

知性の構造までも変形させている。

予測可能とする、その傲慢な態度は、

視界を狭めるという病理にまで発展している。

 

未来は常に未完であるとするならば、

完成は常に後に残るものであると、

あたりまえだが、そう言える。

 

後に残った経験より、

近未来への想像としての予測とする。

この予測を信憑性に欠ける数字やグラフとしてマーケットに

組み込んだバーチャルな社会が自身の頭を追い越し、

先行し、誘導して、自律性の欠如を誘い続ける。

 

その誘惑は、せいぜい近未来までの予測であろうものを、

本来、予測不可能な長期未来をも予測出来てしまうと

勘違いさせるに至るまで幻惑する。

幻惑による麻薬のような作用は、知性を萎縮させ、

構造までも歪め、変形し、傲慢な姿勢へと変化させる。

 

歪みはなにもカラダだけとは限らない、

精神、知性の構造までも変形させてしまう・・・

 

現代社会の様々なストレスとファクターによる汚染は、

思っている以上に浸潤性が強く深刻であり、現状を見る限り、

進行はあっても、減退は見せないという気配である。

 

知性、精神の歪んだ構造を

つまり治療によりバランスある形に修復することも必要と考える。

 

外枠フレームの歪みは、目に見えない所にまでも波及しているようだ。