ミクロとマクロ

世の中の基本的な流れは、

今だ、右向け右であり、

さらに「皆と同じ右を向いて何が悪い?」と

言わんとばかりに

自身の思考停止を肯定している、

または気付いていない世と言える。

 

本来ならば、左右を見渡す、

あるいは見極める、つまり自己判断、

選択することを忘れ、右に向くこと自体が目的となり

さらにさらに、自動的に疑うことなく進むという

具合だと思う。

 

そして、左を向くことを

まるで悪いことのように認識し、

はなから否定している。

 

合成の誤謬。

ようは、全体で真実とされるものが、

必ずしもミクロ(個人)にも当て嵌まるわけではない。

 

逆に個人では合理的だったものが、

全体的になったら、違うものになるということ。

 

ミクロが拡大してそのままマクロになるわけではない。

 

全体的な誤謬は、個々の自身の意志とは関係なく、

流されて行く先が、たとえ間違いだとしても流れて行く有様である。

 

誰が良い悪いということではなく、

当初の自己判断に全て委ねられていたのであり、

 

正気な思考ならば、

少なくとも、一方を疑い、一方を信じる

あるいはその他のアイディアを

考えるという選択の余裕はあることだろう。

 

どちらが良い悪いではなく、自分の答えを出すことが大切と考える。

 

疑いすら持たず自動的に流された先が、

たとえ似非科学であっても、気付かずに、

 

そう、まるで、その先は海だとしても

全体を疑わず、自動的について行き、

全員が海に飛び込んでしまうネズミの様に・・・

 

必ずしも先頭にいるリーダーの判断が正しいとは限らない。

あるいは、リーダーの判断は正しくてもそれが全体的になると

いつの間にか違うものへと姿を変えてしまう可能性も

自己判断の中に取り入れる必要性がある。

 

組織とは、どういうわけか、

いつの時代も奇妙な変化を起こしてしまうものです。

 

全体と個人とでは性質が違うということ。

 

全体は全体の、個人は個人の

それぞれの性格に合わせて対応することが、

 

最近の世の処方箋なのかもしれませんね。

 

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コメント: 1
  • #1

    アイヒマン (月曜日, 27 10月 2014)

    NICE!