能力

勘違いしてはいけないことは、

オステオパシーと名が付くも、中身はピンキリであるということ。

オステオパシーだから、どうだこうだというわけではない。

テクニックより術者の能力の方が肝腎であると思う。

 

オステオパシーは原理原則であり、

考え方、方法論、生命に対する一つの思想であると考える。

 

基礎的なテクニックは必要だが、

それ以上に様々なオステオパシー以外の知識も必要になる。

 

つまり、どれだけ、いわばオステオパシーとして

他の知識を取り入れ現象とするか・・・ということと思う。

 

それは、他の治療法でも同じことと考える。

 

実際、日本で教わることができる

オステオパシーのテクニックは、

自分の想像とは、ずいぶん違ったという意味で、

想像以上に違和感のあるものであったという感想。

 

日本に限らず、海外でもそうなのかもしれません。
(自分の経験の限り、そうだと思った。)

それが現代オステオパシーの事実?ということでしょうか。

 

自分のオステオパシーの原点は、

ロバート・フルフォード博士著者、本「いのちの輝き」であり、

ワイル博士が紹介する同じくオステオパス、

ロバート・フルフォード博士でした。

 

本の中の数々の奇跡がオステオパシーと想像していた為、

 

つまり実際に習うオステオパシーは、

本の内容をフィクションにしてしまう程、違っていたということです。

 

後に分かったことは、フルフォード先生の行う治療は、

オステオパシー以上のものであり、特殊なテクニックであったこと。

フルフォード先生の能力が他のオステオパスと比べ、ズバ抜けていたということ。

 

これらを知ることができたのは、

グリーンハウスの田尻先生のおかげであり、

フィクションになりつつあった自身の

オステオパシーというより、フルフォード博士に対する想像が

大袈裟ですが、救われたという気持ちでした。感謝致します。

 

よって、ほんとオステオパシーだから、

良いとか、悪いとか、ということではなく、

 

どのような思想を基礎に、様々な知識を携え、

治療という現象とするか・・・ということだと考える。

 

どんな治療法でも同じことで、

 

けっきょく、名前より、内容であり、

 

そして術者の能力であると言える。

(あたりまえのことだと思いますが)

 

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コメント: 2
  • #1

    アイヒマン (水曜日, 24 9月 2014 23:28)

    うーん、原理原則で思想かぁ・・・・確かに患者との関係だとテクニックだけでなく、術者の総合力が最後のキメ手になる。頂から見おろす景色は頂に登り詰めた者しかわからないであろう。さてそれが近所の小山なのか、富士山であるかだが、とまれ目指すなら富士山(いけるものなら)・・・そして登り方はT先生に聞くとするか(^・^)

  • #2

    tomomi-arima (木曜日, 25 9月 2014 09:56)

    小山を目指すのか、富士山を目指すのか、それともエベレストの頂上を目指すのかと、目指す大きさで、意識や能力の器があるとしたら、その器自体の大きさを決めてしまうと考えます。限界(器)をどこまで広げるか・・・が能力の高さに比例していると思います。