習慣

この国の教育では、

知識面に限っていえば、

形式化された、数量化された

知識の分かりやすいモデル、いわば模型的な理屈を教える為、

 

人々は小学校から、長い人では大学まで、

 

そのような習慣に慣れ親しんでいる。

 

そのような形式、数量化された分かりやすい

モデルは大量の多数に対しての理解を簡単にする。

 

そのかわり、簡単なだけに

つまり必然的にうすっぺらいものになる・・・

 

よって、試験の為の知識に慣れれば慣れるほどに

浅く、狭く、表面だけの簡単な状況に流されやすい

または、流れる方が簡単で分かりやすいから自ら流れる人々が増える。

 

この国では決め事に多数決が採用されており、

ほとんどの事柄が多数派より作られた秩序ではあるが、

 しかし採用されないとしても同時に少数派の意見も存在するわけです。

 

少数派の意見の良し悪しは別として、

少数派は少なくとも大量人よりは

慣れ親しんだ習性に逆らうという意味で

自発的に考える人々であり、

 

その考え方は、大量人が

その習性のままに流れ込んだ多数意見よりは、

自発的であるという点で柔軟性があると考えるのです。

 

柔軟性の欠如は

コミュニティの不足として

結果的に家族、地域、社会の社交の場で養われるべき

徳育、つまり生きるうえで必要性のある気力、活力の欠如となる。

 

知識面を重視すればするほどに

比較として徳育が小さくなる傾向にある。

 

と、頭の中で整理するとこうなるのですが、

実際には人々の人生は思っている以上にもっと複雑であり、

このような机上の空論2パターンにおさまるわけがないのです。

 

この2つの選択肢という形式も罠ですねw

 

つまり、単純化に流される人々の思考の罠は、日常の中に潜んでおり、

気が付かないうちに習慣化、さらに常識としているようです。

 

どちらにしても、モデルや数量に慣れているのは確かで、

そしてそれらを科学という根拠に置き換え、

さらに医学にもそれを当て嵌めているという具合です。

 

科学は形式や数量に慣れている現代人には

理解しやすいと思います。

 

しかしながら皆様ご経験の通りに現実はもっと流動的であり、

固定された、決めつけられたものではなく、

 

生命力に限って言えば、

決めつけられない現象の一つであり、

少なくとも教科書の通りではないということです。

 

言いたいことは、

科学ですべて説明ができるほど、

そんなに皆さんの人生は簡単だったのでしょうか?

人生の山も谷も、数字では示すことはできません。

 

今までの山や谷がカラダのバランスを

崩している原因であったとしても、

なんら不思議なことではないと思います。

 

そしてそれらが腰痛や肩こりの原因になっても

不思議ではないと思いますが?

 

ちなみに科学やら、世間の常識やらは50年くらいの周期で

根拠がくつがえされてきたそうです・・・

 

今現在の常識もそのうちガラリと変わってしまうことでしょう。