常識

この世に正しいことはあるのか?

そんな疑問とは別に、

世間の常識としての振る舞い方、秩序、ルールはあるわけで、

納得出来なくとも、そのような手順に従うことも大切だ。

 

それは自分自身の中の納得を構築していく手続きでもある。

または本来ある手順、手続きの再確認かもしれない。

 

自分の中で、否定、非難されることのない手続きによる納得は、

同時にコモンセンスにおける常識としての共通する他者への納得にもなる。

(他者の感情は別として少なくとも常識において

否定、非難は出来ないという意味での他者の納得)

 

そういう意味で、感情は別として、

どんな立場だとしても、

自身の振る舞い方は、ときに事務的になることも必要だ。

関係性における、なにより自分自身の納得として。

 

よって、感情に任せて

向かい合わず勝手に関係性に終止符を打つことは

感情のうえではスッキリするようだが、

どうやら潜在意識では、ストレスとして、

あるいは、良心とでもいいましょうか・・・

良心に反した感情による解釈となるようです。

 

正しいかどうかは関係なく、

いわば良心の事務手続き(真の納得)は

カラダをスムーズに運用する為にも重要なようです。

 

ややこしくて、なに書いているのか自分でも分かりませんがw

 

精神治療をしていると、

同じくらいややこしいのですw

 

本人の潜在意識は何を望むのか?

 

それは日本人としての(日本人しか治療したことがないですが)

DNAなのか?それとも慣れ親しんだ習慣、常識、秩序、ルールの為か、

 

よくわかりませんが、

 

精神、感情もなんらかのルールの中にあり、

 

手順、順序?なにか法則のようなものが、

 

個人差や複雑な精神ではありますが

あるように感じるのは自分だけでしょうか?

 

そういう意味で、

受け継がれるのは血だけではなく、

血の繋がりとは別に、ちゃんと受け継がれている・・・

 

共通するものが潜在意識にちゃんとあるから

 

その為に、治療が出来ている?

と具体的には言えませんが、

 

そう感じました。

意味不明ですがw

 

つまり同じ日本人としての常識があるからこそ(潜在意識に)

治療が成立、あるいは対人関係の関係性が成立するのかな?

 

ということです。・・・けっきょく上手く言葉にできませんがw

 

考えるな!感じろ!ですね(笑)