自由

自由という言葉はハッピーな印象の傾きに

置かれることが多いが、

 

どちらかといえば、むしろシビアであり、

宿すものも、運ぶものも含め、

 

ときに厳しい選択肢を求められる。

 

回避、後回し、キツク言えば誤魔化し続ける程、

その範囲、選択権があるとすれば、

自ら狭めることとなる・・・

 

そう、自己責任が付き纏う。

 

きのう、栃木から知り合いの親子が治療にいらっしゃった。

治療後、いっしょにランチに行ったのですが、

ふだん外食はあまりしませんので、

お店のメニューに苦悩した。

 

お決まりのお肉に偏る外食メニュー・・・

どれを選んでも、カラダには良いとは思えない(笑)

そうなると、健康というよりは食事を楽しむ

ということを重視する、選択する。

 

そして、ふだん食べないお肉にもチャレンジできる雰囲気、気分にもなる。

 

しかし、楽しんだ分、その後、次の日、苦悩するw

ふだん食べないので消化器系がビックリしているのでしょう・・・

消化にエネルギーを消耗して疲弊状態w

 

必然と、きょうはカラダの調子を戻す為の日となる。

 

理屈をぐちゃぐちゃとこねながら、からめて話すと、

 

自由とは、楽しさの裏側まで含む

むしろ、シビアなものである。

 

ハッピーを演じるにしても

それなりの覚悟が必要ということであるが、

 

あくまで選択権という自由の範囲の自由。

 

危機をチャンスとするか、チャンスを危機とするか、

あるいは、見送るか・・・

 

どちらにしても次はないということ。

同じようでいて同じチャンスは2度とない。

 

今の努力が次を作るとしたら、

放棄しないという意味での自由の責任を

良いも悪いも背負うこと。

 

選ばないことも自由とはいえ、

次のチャンスを作る連続が生きることならば、

 

ちゃんと、覚悟のもとに選ぶべきと思う。

 

治療も同じと思う。・・・からめ過ぎか?w