生命

例えば、鍼灸療法。

何故その根底が、基本的思想が変わることなく

何千年経っても現代でも受け継がれているのか?

 

自然療法に至っては、

ヒポクラテスの時代から方法は別にしても、

変わることなく同じ原理原則です。

 

何故なら、生命という疑うことのできない前提があるからです。

 

生命を疑う人は居ないとは思いますが・・・

 

科学進歩により、アプローチに変化はあるものの、

本質は変わらないという意味で、科学では追いつけない、

凌駕できない部分なのです。

 

よって治療法の本質は変わることはないという考えです。

 

もし、変わることがあるとすれば

量子力学、量子医学による可能性でしょう。

しかし、あくまでも生命という前提を基に

アプローチに変化があるという意味です。

 

生命を超えることはできません。

 

科学の挑戦は、擬似生命。

疑う要素が含まれるものという意味で、

本物を超えることは不可能。

 

科学的根拠に偏る西洋医学は別として、

 

何故、東洋医学や、オステオパシーの思想が変わらないのか?

変えられないと言ったほうがいいのかもしれません。

 

その前提が生命であるということはもちろんですが、

 

個人的な考えとして、こう思うのです。

 

考えることは疑うこと、

そして、その前提は信じること。

 

信じる、受け入れることは、

理性を超えた部分であり、

つまり何かを信じるという前提を選び出す行為は、

合理的には説明できない部分からのものであり、

 

例えば、この季節、

桜が、とてもキレイです。

その桜から受ける色、匂い、雰囲気などの波動が、

良い波動だと感じていることに合理的な説明は必要だろうか?

 

そんな説明はなくとも、良いと感じているかと思います。

 

それは桜からの生命エネルギーを疑う余地などなく、

良いエネルギーだと、自身の生命エネルギーで感じているからである。

(良い治療、良い薬も自身の生命エネルギーで感じている、判断している)

 

理由など必要がない所

理性の超えたところで、信じ、感じる。

生命はそのように人智を超えた所に位置し、

 

よって、その生命を前提として構築された治療法は、

ある意味、科学という意味の人智を超えた所で構築されたものと言え、

前提が変わらない限り、変わることはない

変えることはできない治療であるという考えです。

 

むしろ科学による説明は無粋なもの、陳腐なものとして

片づけられてしまうと思います。

 

本当の考え、ウソの考え、

 

見分ける方法は・・・

 

理性を超えた生命という基準で、

判断、感じることが、

一番、確かと言えるかもしれませんね。